子どもの個性を伸ばす親

しつけがよくなるように考えてはすこし甘い

けがのすすめたくましかった昔の子どもたち
だとすると、相手の言葉を自分勝手にホンヤク着色したりして、それを相手の言葉だと思い込む始末が悪い。こういう人たちの間では、いつなんどきデマが広がるかしれない。地震がこわいと思っているときに、近いうちに大きな地震のおこる可能性があるという通達が流されるまかいことは切りすてて大地震がおこる、今日おこる、というような誤報になって広まって大騒動になるそれほどのことでなくても、聞き違いで迷惑するのはしょっちゅうである。われわれの耳は大事なことをしっかり受けとめることができないのか。馬耳東風と聞き流しているのであろ口だけの話をあまり信用しない。証文を書けという。一札入れてくれ、うか。

幼児が多いのですとくに

馬の耳をもっているお互いは、勉強も目でするものときめてしまっているから、人の話をきいて知ったことなど頭からバカにしている。学問というのは正式な教育によらない知識のことで、学問でないとされるのである。大人がうわの空で聞いているから、こどもがうわの空にしんにゅうをかけた聞き方をしていてもしかたがない。だいいち、人がしゃべっているときに、おとなしくしていない。うるさくしゃべる。学校では先生がいつもどなっていなくてはならない。静かにしないか」静かにしたからといって、先生の言うことをよく聞いているという保証はどこにもないが、静かになれば先勝手なことをべらべらしゃべる。生はそれで安心してしまう。

 

幼児の全体の生活の中で考えること

花がいつもあるのはかえってよくない。5お母さん先生教育ママということばがある。ちのことを指すらしい。どういうお母さんのことかと思うと、塾や学校えらびに目の色を変える人た自分で教育をするのでなければ教育ママはおかしい。そういう疑問をもつ人がほとんどいないのは、もっとおかしい。だいたい、教育は学校でするもの、してくれるもの、という他力本願の考えが間違いのもとである学校では遅すぎる。幼稚園でもまだ遅すぎる。

教育に関心をもっているようなことを言うがその実案外
生れ落ちたその瞬間から人間としての教育は始まらなくてはこれは前にも書いたことだが、鉄は熱いうちに打て。あるところで、話をした中で、そう言ったら、あとで質問を受けた。さかんに「打て」「打て」とおっしゃいますけれど、体罰をしなくてはいけないのでしょうか、という。これにはおどろいた。いまの人の頭がそれほど幼稚だとは思ってもみなかった。もちろん、教育はなるべく早い方がいい、早いほど効果があるという教訓である。

 

幼児からいろいろと難問をつきつけられながらそれが

遠足でひつじに草をやれない子にも「怖くないよ。やってみなよ」とゴリ押ししていたからです。そうしてもちろん、それではうまくいきません。ます「いい。こわい」と委縮します。それを見てじりじりしていたのですから、とほほです。子どもはますタイプを知ると、そこから抜け出せます。

子どもの脳をきちんと

子どものサマーキャンプではのように、怖がる子にもなかなか草をあげることはできないはずできっと恐怖心が消えず、「やってごらん」だとどうなるでしょう。どの子にも同じ対応-うまくいかない-子ども困惑!自分イライラこんな負のスパイラルができあがってしまいます。「当然でしょう、合わせないんだから」と思いますか。る人もたくさんいます。冷静に考えればそうですが、実際は自分流を貫いてい、学校の先生習い事の講師スポーツの指導者あなたの周りの大人は、お子さんに合わせた指導をしてくれますか子どもの性格をよくわかっていますか。そういう私は、まったく人のことを言えません。